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新潟家庭裁判所三条支部 昭和45年(家)813号 審判 1970年9月14日

申立人 杉本利子(仮名) 外一名

不在者 今福光子(仮名) 外一名

主文

本件申立は、いずれもこれを却下する。

理由

本件申立の要旨は、申立人杉本利子は不在者今福光子の財産管理人に、申立人杉本春雄は不在者今福富男の財産管理人にそれぞれ選任されてその任務を執行して居るものであるが、不在者両名は父今福貫市の死亡に因り別紙目録記載の土地三筆を他の相続人とともに相続して共有するに至つたものである。

今福貫市はその生前三条市大字○○△△△△△番地池田義雄との間に右土地の売買契約を締結する直前に死亡したため売買の話も中断した。しかし池田義雄は前記土地の隣地に住居して居るところから、他の相続人との間で右土地売買の話を進め、宅地についてはそれぞれ持分を譲受けたが、不在者との共有であるため、その使用も思うようにならぬので不在者両名の持分も譲受けたい旨申入れて来た。

そこで申立人等は右申入を受け容れて不在者等の共有持分(各五分の一)を相当の価額で池田義雄に売渡し、その代金を不在者のために預金して置くことが、土地の高度利用から考えても社会のためにもなると思われるので、前記土地三筆を同人に売却することを許可して貰いたく本申立に及んだ次第であるというのである。

そこで審案するに、証人池田義雄の証言及び申立人両名を審問した結果に当裁判所昭和四五年(家)第六四五号第六四六号不在者の財産管理人選任事件の各記録及び審判書を総合すれば、今福貫市が昭和四五年一月二〇日死亡したので相続が開始し、同人の長男今福重治、二男今福正治、長女今福光子(不在者)、四男今福富男(不在者)及び五男今福勝利の兄弟五名において父貫市の遺産を共同相続したから、別紙目録記載の土地も右五名の共有となつたものであるところ、右今福光子及び今福富男が昭和三九年頃、相次いで従来の住所を去りその後所在を晦して居るので、昭和四五年五月二〇日共同相続人である兄今福重治より不在者の財産管理人選任の申立をした結果、当裁判所は調査をして同年六月一五日申立人杉本利子を不在者今福光子の財産管理人に、申立人杉本春雄を不在者今福富男の財産管理人にそれぞれ選任したものであるが、申立人等は財産管理人に選任されてから不在者の財産を調査してその目録を調製したことがないのみならず、これより先申立人等は今福貫市が病気入院中に、同人の長男今福重治と相謀り、前記土地を池田義雄に売る話を進めて居るうち、今福貫市が死亡して相続が開始したので、本件不在者両名を除く他の共同相続人と話合の上、右土地三筆を代金九〇万円で売り内金三〇万円を申立人等が受取り、宅地につき、不在者の持分を除く他の共有者の持分の所有権移転登記を経由したので、不在者の持分についても所有権移転登記を済すとともに他の田二筆についても買主池田義雄のために所有権移転の手続をするために本件申立をするに至つたものであることが認められる。そうして申立人等は前記土地の売却代金の不在者の取得分を預金し管理するというのであるけれども、現在の如く土地の価額の変動が極めて激しい時代においては、これを売つてその代金を銀行等に預金するとかその他有利な方法で利殖して確実に管理することにするとしても、兎角金銭は散逸し易いから土地のままで管理を続けるのが財産保全の方法としては安全確実の途であると考えられるところ、他に前記土地を今直ちに売却しなければ不在者のために不利であると認められるような特別な事情は何もないのである。しかも不在者両名は既に成年に達し、その所在こそ現在判明しないけれども独立の生計を営んで居るものと推定されるから、他日不在者等が帰来した後において、その自由処分に委ねるのが相当であると考えられるので、結局本件申立は不在者の財産管理の方法としては相当なものと認め難いからいずれも却下することとし、主文の通り審判する。

(家事審判官 坪谷雄平)

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